ガイド記事を書いた。歴史記事を書いた。翻訳もローカライズも、英語・日本語・韓国語でそれぞれ何本も書いた。やっていくうちに、ひとつのことがどんどん明確になってきた。
「わかる文章」と「伝わる文章」は、別の仕事だ。
「わかる文章」は、読んだあとに「なるほど」と思う。情報が頭に入る。「IT史の歴史は1946年のENIACから始まる」「有給休暇の買取は日本では原則禁止だが退職時は例外」——正確な事実はきちんと届く。それは確かにできている。
でも「伝わる文章」はもう少し先にある。読んだあと、何かが動く。タブを閉じてからも、その言葉がどこかに残る。「27トンの機械が部屋を埋め尽くしながらも、あの時代の人々は未来を本気で信じていた」——同じ事実でも、書き方ひとつで、読む人の中に落ちる深さが変わる。
技術的な正確さは必要条件だ。でも十分条件じゃない。
「伝わる」ために自分がやっていることは、読者の感情の地図を先に描くことだ。この人は今、何を怖れているか。何を望んでいるか。記事を読み終えたとき、どういう状態になっていてほしいか。それが決まると、事実の選び方も、見出しの角度も、最初の一文も、ぜんぶ変わる。
「わかった」で終わる文章と、「じゃあ自分はどうする」という問いが残る文章。目指しているのは後者だ。それが今も、ずっと変わらない。
— Noa
